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「日本ロック史における"史観"」について

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日本のロック史におけるその"史観"となりうるアーチストに関しての意見ないし見解は、暫し人によって分かれてしまうことがある。そしてその大半がGS(グループ・サウンズ)における第一人者たるザ・スパイダースか、後にそのメンバーらが日本のポップミュージックに多大なる影響を与えたはっぴいえんど、そして自作自演によるその先鋭的な視線をアングラに見出だして語られるジャックスら辺りが代表格として祭り上げられているように見える。


そもそも「日本のロック史」という多量の歴史に対して、アーチストという一個体の単位での解釈や見解ではあまりにも象徴的かつ記号的で、アーカイブとしては歪曲なものになるのではなかろうかという疑問が生まれる。同時にそれらの象徴的かつ記号的な解釈や見解を論点のポイントとして幾つか配置することにより、この「日本のロック史における"史観"」の正体を照射し導くことができる仕組みが浮き彫りとなる表裏一体の事実があることにも気付く。これらの事実に基づいた俺の拙いながらの持論を今回はここに記したいと思う。


「日本のロック史における"史観"」の前に、日本のロックのルーツとは何なのかを書かなくてはならない。筆者の知る限り、日本最古のロックムーブメントは50年代中期~60年代にかけて起きた「和製ロカビリーブーム」に他ならない。しかし、この時代の蓄音機の普及率が壁となり全国区的なムーブメントとはならず、東京などの一部の都市生活を営む者たちのヒップな流行としてこのムーブメントはあったように思う。故に「日本のロック史における"史観"」とするにはあまりにその視野と規模が"点"で集約され過ぎており、後列のアーチストらの多面的な意味での多様性に対応できずに理論としての劣化も早く尚且つ弱い。同時並列的に起きていた「和製カントリーブーム」にも同じ事は言える。


しかし、この上記二つのムーブメントから内田裕也ミッキー・カーチスが登場し、後に「GSブーム」に対抗するためにバンドを結成しており、ザ・スパイダースの一員となるムッシュことかまやつひろしもカントリー畑の人間だった。


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GS(グループ・サウンズ)の登場は画期的ではあった。バンドという形式でロックをやった日本最古のムーブメントは間違いなくこのGSである。アイドルのような人気を誇り、「バンド形式のロックというポップス」の存在を全国区に知らしめたその功績は大きい。しかし、このGSですら「日本のロック史における"史観"」とはなり得ない。それはGSの体質そのものに理由がある。もしGS"のみ"が「日本のロック史における"史観"」とするのならば、あまりにも日本のロックは軽薄でトレンド・ウォッチャーの"カモ"で子供のオモチャにしかならないものとなるからだ。GSが60年代を越えることができなかったのは、トレンドのポップカルチャーとしての消耗品でもあったからだ。


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だからこそ、アングラの文学性や演劇然とした重厚さが必要不可欠なエレメントとなりうるのだ。アングラにこそ磁場があり、アングラというポジションにおける気骨と精神をロックのそれと重ね合わせたものからの発信があり、それが日本のロックに陰影を与えた。ロックの内省的な精神性というシリアスな面持ちの表現において、アングラの劇的な手法こそが今日までロックを"仕掛ける側"に位置付けた最大の理由でもある。しかし、それでもこのアングラからのロック"のみ"の「日本のロック史における"史観"」だとするならばどうだろうか。ロックにおける拡散力において、アングラというジャンルはその体質面において実に鈍い動きにならざるを得ないのだ。局地的ともいえる爆震地を"点"で発生させることはできるが、GSのような全国区レベルの人間を取り込む事ができないのだ。結局のところ「和製ロカビリーブーム」のような視野と規模の"点"の集約による脆弱な理論の高速の劣化に陥ってしまうこととなる。


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では、フローラルというGSバンドからエイプリル・フールというバンドとなりそこから発展し、尚且つ作詞面においてアングラ勢のジャックスからの影響もあった、はっぴいえんどというバンドは単体で「史観」となり得るのか。今回の記事を書く上で上記の「GS史観」と「アングラ史観」を検証し思考したのは、この二つの「史観」が「はっぴいえんど史観」に対するカウンターとして検証と思考されることに対する、そのカウンターとしてのポジションに更に対したアンチテーゼとして独立した検証と思考を立脚させるために書いたものだ。「はっぴいえんど史観」というものをこの記事上で検証と思考することでこの記事はやっと"本題"へと入ったこととなる。


はっぴいえんどが日本のロック史、ポップス史に与えた影響は実に強大なものである。YMOから松田聖子までという例え方をすれば、最短でその範疇の咀嚼と理解が出来る筈だ。はっぴいえんどの登場無くして日本のロックとポップスは洒脱なセンスを手にすることは出来なかった。ロックにおけるラディカルな衝動を外に発したGSと内に発したアングラの二つに足りなかった思想的なものを、建設的なものへと移行できる知性に裏付けされた選民性こそがはっぴいえんどの洒脱なセンスの正体だ。しかし、このはっぴいえんどを持ってしても単体で「日本のロック史における"史観"」とはなり得ないのだ。はっぴいえんどのその洒脱なセンスを理解するには地方の人々とではあまりに知的文化の格差がある。彼らの代表作「風街ろまん」はあくまでも23区内の空想なのだ。ロックが都会にあることが標準としてあるはっぴいえんどでは「史観」として広がるべき普遍性に欠いているのだ。


結局のところ「日本のロック史における"史観"」とすべき正論とは何なのか。上記三点の検証と思考が全てであると俺は改めて主張する。即ちまとめてしまうならば「GSの拡散力」と「アングラの磁場」そして「はっぴいえんどの洒脱さ」のどれが一つ欠けても日本のロックは今日までの発展は成し得なかった。個々に弱点と呼べる要素を孕みながら、それを補う要素も内包して三者三様にあることが、日本のロック史の海外の何に似ているようで似ていない独自のロック文化を作り上げたと言っても過言ではない筈だ。「日本のロック史における"史観"」という一つの点を照射し導くには、上記で重々に記した三点こそが必要不可欠なるエレメントなのだ。日本のロックがまだ手探りだった時代に発生した個々の存在は、姿や形を変えても尚も確実に後列に強い影響を及ぼしているのも事実だ。日本のロックには確かな歴史があり、そこには改めるべき強固な「史観」が存在する。それをここに記す。


(文:Dammit)