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彼にしか見えない世界。彼にしか辿り着けない世界。〜初代高橋竹山のスリーストリングス〜

私が初代高橋竹山(たかはしちくざん。以降、高橋竹山と表記するが全て初代のことを指すのでご注意)を知ったのはいつの頃だったか…大学生より後。社会人となってからだったと思う。

 

そもそも津軽三味線という日本の伝統楽器と演奏は、近年では吉田兄弟などの活躍により演奏手は途切れずになんとか来ているが、いわゆる現代のネコも杓子もミュージシャン扱いの世の中では、プレイヤーというよりは伝統芸能の担い手という役割を知らず知らずのうちに社会から認識と要請をされているきらいがある。

 

しかし、本来の津軽三味線はボサマと呼ばれた視覚障害者の技能職であり、見えない世界の人が見える世界の人と繋がる社会との接点や参画という一面もあったのではないかと個人的には邪推している。

 

ハードで辛いハンデを背負いながらも頑張っているね…などというのは我々健常者から見たある種の一方的な憐みであり、いつ自分たちもそちら側に転ぶかわからない恐怖を紛らます呪文なのかもしれない。しかし、圧倒的な存在の前では前提やエクスキューズなどは吹き飛ぶ。例えば、アメリカでは盲目ながらも世界中のミュージシャンに多大な影響を与えたレイ・チャールズスティービー・ワンダーがいるし、日本ではピアニストの辻井伸行さんがいらっしゃる。彼らは第一印象に盲目というのが頭にあっても音楽に触れた瞬間にそんなものは吹き飛んでしまう。ミュージシャンシップのパワーが溢れている。私が紹介する高橋竹山もいわばそういうタイプのミュージシャンである。

 

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高橋竹山青森県の生まれで幼い頃に病によりその視力を殆ど失い、食べていく道としてボサマとなった。その類稀な才能は戦後に本格的に認知されていき、LPレコードの発売や若者向けライブハウスでの独演などを行い一地方芸能であった津軽三味線をミュージックジャンルに押し上げた。とにかく彼の凄さは一曲聴いてもらえばわかるだろう。

 

 

彼の三味線は派手さはなく淡々と始まりその中から音のストーリーが作られていく。スリーストリングスから聴き手の脳内に勝手に情景が生まれていくかのような錯覚。ストーリーには必ず起承転結が必要であり音楽をストーリーだと考えるならば、高橋竹山の歌や他楽器による補強がない中それを成し遂げようとするスタイルは正に蛮勇とも無謀ともいえるかもしれないが、その技量と戦前生まれで盲目の中色々苦労を重ねた経験の数々がそれを可能にする。速弾きならおそらく他の弾き手で良いのがいるだろうし、現代でいうリズム感のある弾き手も津軽にはごまんといただろう。しかし、彼の聴き手が何に感動し、何を退屈に感じるかをまさに超感覚とでもいうべき力で理解し、その上で自分のパーソナルさを弦に落とし込み聴衆を世界に引きずりこむ…脱帽である。

 

芸能とは自己満足でも大衆に媚びることでもやりたいことをやれば良いわけでもない。全てをやりきり、その上で食べていくのだ。高橋竹山の演奏からはそれが力強く伝わってくる。厳しい気候、厳しい環境、厳しい芸能。想像のできない世界からやってきたそのボサマは津軽三味線を広めることが使命だったかのように後世に技能と超えられない圧倒的表現を残して世を去った。

 

伝統芸能と侮るなかれ。侮る人間ほど高橋竹山のそのプレイヤーとしての圧倒的な技量と表現に魅了されてしまう。あなたが素晴らしいミュージシャンを愛する人ならば是非一度は聴いていただきたい偉人である。

 

最後にオススメの三曲を貼ってこの記事を終わりとしたい。

 

 


 


 

(文:ジョルノ・ジャズ・卓也)