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コロナショックから生まれた不屈のエンターテインメント「無観客ライヴ」


世界はいま未曾有のパニック状態にある。中国は武漢より発症されたとされる新型コロナウイルスによる一連の騒動を称して「コロナショック」と呼んでいるそれだ。


誰もがこの未知のウイルスから身を守る術を、解決法を知らずに怯えて過ごしている。時にはデマに踊らされスーパーに長蛇の列を作り、最低限の防衛作のためのマスクを買うために躍起になったりしている。通りに人の姿は無く、子供たちの笑顔も曇り模様だ。そう、誰もが怯えている。身体それ以上に疑心暗鬼という人の心にまでコロナウイルスは浸透し、人々を混乱に陥れている。もしかすると「病は気から」なんていう先人の言葉は人の心にこそ病理は巣食うものだという意味があったのかもしれない等と考えてしまうほどに人々の心の衰退は著しい。


だからこそ、こんな時だからこそ音楽は必要だ。何よりもエンターテイメントそれ自体がとても重要かつ必要なものだ。しかし、悲しいかなコロナショックの余波はエンターテインメント業界にまで押し寄せてきているのも事実だ。


コロナショックによるアーチストらのライヴやコンサート等のイベントでのそれぞれの対応に注目が集まっている。ライヴやコンサート等のイベントの規模が巨大であればあるほど動く人間とお金が発生する。それに伴う中止やキャンセルによる破格の金銭や人員的な損害、しかし、コロナウイルス拡散の脅威に背に腹はかえられず苦心の果てに中止やキャンセルとなるケースも多いのが事実だ。確かにコロナウイルス拡散の予防には繋がるやもしれないが、その分の損害は金銭や人員それと同等もしくはそれ以上に精神的にもアーチスト自身とそしてファンに負担として大きく降りかかっている。


人には心がある、窮地のこんな時代だからこそ"拠り所"を求めている。そんな"拠り所"となりうるエンターテイメントがそれら自体が窮地にあるようにも思える、この状態をより感覚的に察知している人はたくさんいるはずだ。


しかし、一部のアーチストらにはアーチストという職業柄からセンシティブな面を保持にしながらそこからより強靭にアーチストとして突き抜けた"返答"をする連中もいる。それは「無観客ライヴ」の実施と配信を行うアーチストらのことである。


ムーブメントとまではいかないが、一つのトレンドにもなりそうなこの「無観客ライヴ」の実施と配信は奇しくもより今の時代性にコミットした形式として発展する可能性を秘めていると俺は考えている。「無観客ライヴ」だからこそのパフォーマンスも開拓の余地があり、まだまだ面白味があるのではなかろうか。


何よりもこの「無観客ライヴ」という形式からは人類の不屈のエンターテインメントの気骨と意思を感じる。ウイルスごときに人の娯楽は、喜びは止められはしないのだという気骨と意思を感じるのだ。実施される背景は基本的に好ましいものばかりではないが、窮地にありながら逆ギレに近いような勢いで生まれたこの新しいエンターテインメントスタイルを好意的に楽しむことこそコロナウイルスがもたらした直接的な病理以上に膨れ上がった醜悪な疑心暗鬼に勝利する人類の叡知の剣とは言えまいか。



確かにコロナウイルスとそれに伴ったコロナショックは恐ろしい存在だ。けれどもこの世界にはエンターテインメントがある。


「いつも心に音楽を…」


(文:Dammit)