ピーキー・オヤナギが語るジャニーズ名曲選③少年隊/仮面舞踏会
今回紹介するのは少年隊の稀代の名曲にしてデビュー曲、仮面舞踏会です。
1985年12月12日リリース。
第28回日本レコード大賞・最優秀新人賞
'86FNS歌謡祭・最優秀新人賞
第17回日本歌謡大賞・優秀放送音楽新人賞
など、
デビュー曲ながらオリコンチャートでいきなり第1位を獲得し、1986年のオリコン年間シングル売り上げでは第3位。現時点で少年隊自身最大のセールス・ヒット曲となりました。当時は各賞を狙いこの時期でのデビューが多かったようです。
作詞を担当したちあき哲也さんは矢沢永吉の楽曲作詞も多く手がけており(止まらないHa~Haなど)、矢沢ファンである錦織がちあきの起用を希望したものであるということです。ちなみに曲中のスタンドマイクのパフォーマンスも矢沢永吉の影響が色濃いようです。
余談ではありますが、昔ジャニーズの合宿所と同じ建物内に矢沢永吉の事務所があり、かつて近藤真彦が矢沢のファンで楽曲提供のオファーを出し、その際に矢沢は『あなたのことよくテレビで拝見して、すごい素晴らしいし、本当にかっこいいと思う。あなたのこと好きです。あなたに最高の曲を作りたい。ただごめんね、最高の曲ができたら僕が歌いたいよね。』と断ったことも錦織さんは知っていたので、錦織さんは本人の楽曲提供ではなく矢沢永吉に提供している作詞家のちあき哲也に頼んだのだろうとも思います。そんな関係上、ジャニーズタレント(元を含む)に矢沢ファンが多く、錦織一清だけでなく、田原俊彦、近藤真彦、諸星和己、松岡昌宏、今井翼、山下智久、生田斗真らがファンとして知られています。
また当初は、イントロ部分の歌詞(Tonight ya ya ya・・・tear)が書かれていなかったのですが、錦織一清のアイデアにより歌詞が付け加えられたらしいです。錦織さんのセンスがすごい。何者なんだ貴方は!
ちなみに錦織さんはジャニーさんから「とりあえずこれ、楽曲としては成立している。とりあえずいい曲にはなっている。ここから何かが必要だ」「なにか仕掛けがほしい」と言われたそうで、そこから考えたそうです。
さて、とりあえずこちらをご覧ください。
個人的にこの「夜のヒットスタジオ」の映像は神がかっております。
見ていただければ分かるかと思いますがダンスのキレが半端じゃない。
特に最初の錦織さんの片手バク転からの歌唱は度肝を抜かれました。各自バク転バク宙が出来る少年隊の強みです。息つく暇すら瞬きすら許さないであろうダンスの連続です。
東山さんのターンも美しく、ジャニーズのダンスの基本であるバレエ、ジャズダンス、ヒップポップダンスを極めた少年隊の凄さがこれでもかと詰め込まれたものであります。(ちなみに少年隊はマイケル・ジャクソンの振付師だったマイケル・ピータースの指導を受けたり、海外でもトレーニングを積んでいる。)
一曲三分ちょっとの間に展開されるミュージカルです。その後開始される少年隊主演ミュージカル「PLAYZONE」は必然だったと言えるでしょう。
Aメロ
SHYな言い訳 仮面でかくして
踊ろ踊ろかりそめの一夜を
きっとお前もなやめる聖母
棄てな棄てな まじなプライドを今は
と、ここから
迷いこんだ幻想(イリュージョン)時を止めた楽園
むきに眉をひそめてもこころうらはら
こんなにも感じているじゃないか
このBメロへの流れは「迷い込んだ幻想(イリュージョン)〜時を止めた楽園」の重なりが大好きです。甘いメロディ。筒美京平先生半端ない。
あと歌謡曲でもありつつベースがディスコミュージックなので、ノリの良いダンスミュージックでもある。これがツボです。トムジョーンズの「ラヴ・ミー・トゥナイト」を大胆に導入しています。
編曲は船山基紀さんなのでアレンジもお手の物でしょう。ちなみに2人は田原俊彦の抱きしめてTonightでも「ラヴ・ミー・トゥナイト」をパクってます(笑)
WAKE UP! DESIRE (好きさおまえが)
LIGHT UP! YOUR FIRE (好きさ死ぬほど)
目眩くってくれ PLEASEPLEASEPLEASE
WAKE UP! DESIRE (I WANT YOUNONONO)
LIGHT UP! MY FIRE (I LOVE YOUNONONO)
ゆれて魔性のリズム
仮面舞踏会を比喩表現にした男女の一夜限りの夜遊び。どことなく少女漫画的でありつつアダルトな怪しさも携えていて、大人に憧れる少女達を刺激する幻想的な浮世離れした歌詞は、何処か別の場所に連れ去ってくれそうな三人の王子様達にはぴったりです。あと個人的には「いっそ X・T・C 俺と X・T・C 強く強く」の部分が好きです。X・T・Cと書いてエクスタシーと読ませるわけですから。この時代の歌謡曲らしさもある。それまでのたのきんやシブがき隊とは違う大人びたアイドルによる新機軸であったと思います。
ちなみに生前のジャニー喜多川氏は「自ら作ったグループの中で最高傑作は?」という国分太一(TOKIO)さんの質問に「少年隊だよ」と食い気味で答えられたとのことで既にジャニーズの完成系は80年代に誕生していたということになる。デビュー曲でこの完成度を達成したジャニーズは後にも先にもいないだろう。
(文:ピーキー・オヤナギ)
CAP'N JAZZから辿る90年代EMO
EMOとは何か。
EMOとは生き様だ。と言いたいがそれは答えではないだろう。
EMOとはPUNKという大きなジャンルの派生である。
もっと細かく言えば、80年代後半ワシントンD.Cを中心に広がったUSハードコアが起源となり、90年代にそれらは「EMO」と呼ばれるようになった。
それだけではよくわからないだろう。
今回は90年代EMOを語る上で欠かせないバンドと、そのバンドの解散後メンバーが組んだバンドについて書こうと思う。
彼らの辿った道を辿れば、EMOがわかるかもしれない。
そのバンドとは
CAP'N JAZZ
メンバー:
Tim Kinsella(ティム・キンセラ)※兄
Mike Kinsella(マイク・キンセラ)※弟
Sam Zurick(サム・ズーリック)
Victor Villarreal(ビクター・ビラリール)
Davey von Bohlen(デイヴィー・フォン・ボーレン)
※キンセラ2人は兄弟。
1989年結成。
1995年に解散しているが2010年と2017年にリユニオンしている。
そしておそらくそろそろまた復活するのでは。。?
2007年リユニオン時のライブ映像。かっこいい。
結成当時はまだEMOという言葉もなかったため感覚的にはハードコアに近いかも。
ティム・キンセラの悲壮感強めな絶叫に近い歌い方は後のEMOを生み出したのではないだろうか。
この頃キンセラ兄弟はまだ10代前半・・・末恐ろしい・・・
1stアルバムとEPが一緒になったディスコグラフィー『ANALPHABETAPOLOTHOLOGY』は1枚は持っておきたいアルバム。
caP'n Jazz Analphabetapolothology (full album)
CAP'N JAZZ解散後メンバーは様々なバンドを結成する。
それが後にEMO/Post Rock界に多大な影響を与えることになる。
Joan of Arc(ジョーン・オブ・アーク)
CAP'N JAZZ解散後キンセラ兄弟を中心に結成。なんと今でもメンバーを変えながら精力的に活動している。(弟のマイクキンセラはいつの間にか脱退)
CAP'N JAZZの荒々しさはなくなり、演奏はポップ。
ティム・キンセラのヘロヘロボイスがくせになる。
アコースティック楽器、民族楽器、シンセサイザー、なんでも取り入れながら常に新しい音楽を生み出している。
奇才ティム・キンセラを代表するバンド。近年はさらに実験音楽さが増してきた。
1stの「A Portable Model Of」
Joan of Arc - A Portable Model Of... (Full)
11枚目の「Boo! Human 」がおすすめ
Joan of Arc - If There Was a Time #1 [OFFICAL AUDIO]
Make Believe
ティム・キンセラとCAP'N JAZZのギター、サム・ズーリックを中心に結成。
当初はJoan of ArcのツアーバンドVer.として作られたがツアー終了後にアルバムを制作しMake Believe名義でリリース。
印象としてはJoan of Arcにポストロック、シューゲイズを加えた感じだろうか。
難解さの中にポップ、ユーモアもちゃんと混じっており、そこがキンセラらしさだと思う。
American Football
CAP'N JAZZのドラム、マイク・キンセラがギターボーカルを務める。
EMOを語る上では、なくてはならないバンドだろう。
98年にEP、99年にアルバムを1枚ずつリリースするも解散。
しかしその大きすぎる爪痕は現在まで多くのアーティストに影響を与えた。
1st Albumに収録されたNever Meantはすべての音楽ファンの心をつかむEMOアンセムとなっている。
14年にまさかのリユニオンを果たし現在まで2枚のアルバムと2枚のEPをリリースしている。
ちなみに現在ベースを弾いているネイト・キンセラはキンセラ兄弟の従弟。どうなってるんだこの家系。。
American Football - Never Meant "Live At Webster Hall, NYC, NY"
owen
マイク・キンセラのソロプロジェクト。
American Footballをさらに歌に昇華させ、フォーク/インディーロックファンすらも射程に捕らえている。
儚く静かに語るように歌うowenは演奏もシンプルなアコギ1本などが多いのだが、チューニングはやはり変則的なものが多くさすがキンセラといったところか。
好きなアルバムはたくさんあるのだが1番は『I Do Perceive』。
Owen - Who Found Whose Hair In Whose Bed
正直キンセラ兄弟についてはここでは書き足りないのでまたいつか別の記事でかけたらと思う。
Ghosts And Vodka
サム・ズーリックとビクター・ビラリールが所属するEMO/Math Rockバンド。
1999年~2001年という短い期間にアルバムとしては1枚しかリリースしていないがその人気は絶大で、日本のバンドtoeなども彼らに強く影響を受けている。
唯一のアルバムとEPをまとめたディスコグラフィー『Addicts And Drunks 』は一家に1枚の名盤。
Ghosts And Vodka- Addicts and Drunks (2003- Full Album)
2曲目のイントロは世界で5本の指に入るかっこよさだと思う。
Owls
デイヴィー・フォン・ボーレン以外のCAP'N JAZZのメンバー4人で結成。
2001年に1stアルバムを発売したかと思えば解散。
思えばEMOバンドの短命説はCAP'N JAZZ界隈のせいでは?
そして2012年に奇跡の活動再開。
2014年に2ndアルバム『two』をリリース。10年でティムの歌がかなり上手くなっている。
Joan of Arcにマスロックを織り交ぜたテイスト。
それぞれ違うバンドを経験し集まるべき時が来て結成したような、ある意味CAP'N JAZZの正統続編だろう。
Promise Ring
Owlsに参加しなかったデイヴィーだが彼もまたEMOの歴史に名を刻むバンドを結成している。
それがPromise Ringだ。
こちらはキンセラ兄弟とは違いシンプルでポップ。正統派EMO PUNKとなっている。
歌詞も率直で若者の間でカルト的な人気を博す。
2002年に解散しているが2度ほど復活している(EMOバンドあるある)。
4枚のアルバムを出しておりどれも名作だが、必聴は2作目の『Nothing Feels Good』だろう。
Promise RingのボーカルのデイヴィーとドラムのダンがPromise Ring解散後に結成。
キーボードやアコースティックギターを用いてさらにポップに進化。
個人的に好きなアルバムは2nd『WE, THE VEHICLES』
EMOと言っても一言では表せないほどその幅は広がっている。
今回は一つのバンドとその派生から書いたが、90年代を代表するEMOバンドはまだまだたくさんある。
CAP'N JAZZという未完成のバンドから始まった一つの壮大なファミリー・ツリーですらこれで終わりではない。
(まだ紹介できてないバンドもたくさんある。。。)
そしてさらに2020年になった今でも彼らの意志を受け継ぎ活動するバンドが多い。
EMOは静かに、だが確かに次の世代にリバイバルされている。
EMOとはなにか。
生き様だろうと、声に出してみる。
(文:ゴセキユウタ)
血みどろクレイジーのダーティー・ダーク・ヒーロー「チェンソーマン」を読め!!
"そこ"に関しては個人的な感覚の話であって、故に肯定も否定もできなければされるつもりもない話なのだけれども、雑で語弊もあるやもしれない、それでも分かりやすい言い回しをするところの所謂「ロックな漫画」というものに対して俺が考えるもの、ロックを感じるものというのは、実際にバンドが出てきて演奏して様々なバンド名や音楽の知識が散りばめてあるようなものではなかったりする。
ざっとどんな作品にロックを感じてきたのかと言えば「あしたのジョー」であったり「デビルマン」であったり、山下ユタカ作品や平口広美の一世一代の未完の大傑作「バイオレンス・トーキョー」であったり、昨今一部で熱狂的な話題と磁場を放つ斉藤潤一郎の「死都調布」であったりと自分にとっての「ロックな漫画」とは"そういうもの"なのである。
言葉にして言うなれば「如何に自分のロックを貫かれるか」である。とにかく「自分のロックが貫かれたか否か」、実に頭の悪い言い回しやもしれないがこれに尽きる。
そんな俺が久しぶり「貫かれた」漫画が、ここで紹介する現在も週刊少年ジャンプで連載中の藤本タツキの「チェンソーマン」である。
藤本タツキは2013年に読み切り作品「恋は盲目」でクラウン新人漫画賞佳作を受賞し翌年の2014年に「ジャンプSQ.19」に掲載される。そして紆余曲折があって2016年には「少年ジャンプ+」にて「ファイアパンチ」を連載、その衝撃的で壮大なストーリーからインターネットで話題と注目を集める。2018年には作品の連載が終了し、翌年の2019年より「週刊少年ジャンプ」にて「チェンソーマン」を連載開始する。
ちなみに上記の略歴にて紹介した「ファイアパンチ」も傑作なので是非とも読んでほしい。「一つの神話が連載されていた」という衝撃をまさに神話として追体験できる漫画作品だ。
話を本題の「チェンソーマン」に戻そう。先ずはあらすじ↓
『悪魔のポチタと共にデビルハンターとして暮らす少年・デンジ。借金返済のためにこき使われるド底辺の日々を過ごしていたところを、裏切りに合い殺されてしまう。だが、ポチタがその命と引き換えにデンジを「チェンソーの悪魔」として蘇らせる!敵を皆殺しにしたデンジはマキマに拾われ公安のデビルハンターとなるのだった。』(単行本より抜粋)
ポチタ(可愛いけれども悪魔)
デンジ(主人公)
マキマさん(公安対魔特異4課を取り仕切っている)
ポチタとデンジの「契約」のシーンは切ない名シーン……
俺がこの漫画の何に「貫かれた」のか、それは作中のアクション、バトル・シーン全編に芳醇に血生臭く散りばめられた、爽快なまでに突き抜けたB級スプラッター・ホラー要素てんこ盛りのハード・コア・バイオレンス描写に大きくかかる部分がある。
表現に対する規制がイビツにキツくなる一方の昨今に、かの超級メジャー誌「週刊少年ジャンプ」の連載においてここまで突き抜けたゴア表現を全面に押し出した作品を掲載することは実に危ういものだ。しかし、「チェンソーマン」はその辺の表現を上手くB級スプラッターホラー特有のケレン味を効かせてカバーしている。
それは主人公・デンジのバカなのだけれども憎めないキャラクターも要素の一つとして機能している。
彼は貧しさ故に無教養だが、その分だけ生き方が実にシンプルで欲望に誠実だ。そこに「チェンソーの悪魔」の力が加わり、降りかかる問題を文字通り切り開いて解決していくデンジの姿はネットによる情報過大やSNSでの謗り合い等で溢れ狂った社会とは無縁で、そんな"隙間だらけ"でシンプルなデンジのキャラクターや生き方は読者にすれば実に魅力的に映るのかもしれない。
また「チェンソーマン」で見逃してはならないのがそのキャラクターのデザインだ。実に暴力的で野蛮とも言える、スマートなデザイン性を無視したかような大胆さが思わず笑える程にカッコいいのだ。
この一歩間違えればギャグになるような際どいカッコ良さというのは、実にロックにおけるパンクやハード・コアにも通ずるものがあるのではないか。
例えば日本の「殺害塩化ビニール」系であったり
ホラーパンクの元祖MISFITSであったり
B級スプラッター・ホラーのケレン味とロックンロールにおけるケレン味にはこういった共通点がある。より分かりやすく例を出すのであればKISSやマリリン・マンソン、更には聖飢魔IIこそがそれと言える。
B級スプラッター・ホラーにせよロックンロールにせよ、その仰々しさにこそ面白味がある。「チェンソーマン」にはそれらと同じ仰々しさがある。だからこそ血みどろのスプラッター・シーンがあっても後を引くことなくある種の作品としての清潔を保っていられるのだ。
また、「チェンソーマン」はなんとも魅力的なキャラクターが多い。例えばレゼという女性キャラとデンジの何とも甘酸っぱい恋愛模様等は作品の中でもかなりの読み応えがあったパートだった。しかし、ラブコメのようなシチュエーションにも耐えうるキャラクターを藤本タツキはこの作品で平然と戦わせて殺していく。実に憎いがその作者の冷血なまでの冷静さが作品をソリッドにかつタイトにしているのは間違いない。
また「ファイアパンチ」の頃と比べて週刊連載用に狙いを定めたような作画になったが、藤本タツキの描く絵の動きは雑なようで精密だ。今後連載を作品を重ねる度に進化していくであろう作画も実に楽しみな部分でもある。
個人的にイチオシのキャラクターについても書こう。
なんと言ってもパワーである。差別主義で嘘つきで人のポイントカードを勝手に使うという最低なキャラ、「血の悪魔」の魔人ことパワーがなんとも好きだ。藤本タツキは本当にキャラクターが上手い。何気ない会話等も実に味わい深いシーンがある。けれどもそんな藤本タツキの描くひたすら暴走するキャラクターのパワーが大好きだ。
卑怯臭くて小物感ある発言をするパワー
角が増えたパワー
パパパパパワー!!
いかがだろうか、こんなキャラである……
最後に勝手に何となくキャラクターをイメージした曲を何曲か貼っておこう。
レゼ(ボンバーガール)
パワー
デンジ(チェンソーマン)
近年「週刊少年ジャンプ」という雑誌自体が変化したと言われている。その変化に伴い人気を博した漫画作品に「鬼滅の刃」があり、そして今回ここで紹介した「チェンソーマン」があるとも言われている。この記事を読んで、とにかく一人でも「チェンソーマン」という作品に興味を示してくれたら幸いだ。
(文:Dammit)
名古屋のインディロックが今すごい
前回、久しぶりの出前寿司Recordsへの記事投稿ということで、名古屋のシューゲイザーイベント、DREAMWAVESの感想を記事を作った。
delivery-sushi-records.hatenablog.com
そして、書き終えて思った。
「今、名古屋はかっこいいバンドがいっぱいだから、誰かに伝えたい」
ということで、個人的に、名古屋の好きなインディーズバンドたちを紹介していこうと思う。
(※EASTOKLABについてはDREAMWAVESの時に書いたので、今回は除外する)
・Sitaq
トップバッターは、Sitaq。ド直球なインディオルタナ。おそらくだけど、名古屋の若手のバンドでは、知名度でちょっと抜けだしてると思う。着々と音源の取り扱いを日本各地に増やしているし、関東にも関西にもライブをしに行って、ファンを増やしている。
昨年、ついに1stミニアルバム「persons」をリリース。エモっぽい単音の紡ぎかたもあれば、スカートみたいなポップネスも兼ね備えている。あと、台湾のインディロックバンド、DSPSからドラムが影響を受けたりしてるし、そういう音楽が好きな人にも十分響くはず。
・スーベニア
これもストレートなインディオルタナバンド。名古屋でじわじわ注目されてたけど、昨年、東京のバンドTOWNとのスプリットCD「とうとう」をリリースし、一気に全国的に知名度があがった。個人的に、名古屋の若手インディロックのツートップはSitaqとスーベニアなんじゃないかと思う。
スーベニアも日本各地でライブをして、たくさんのバンドたちと共演をして、確実に力と人気を得てきている。今のうちに聞いてほしい。
TOWNとのスプリットを含め、現在のスーベニアの音源はバンドキャンプで聴くことができる。当然、diskunionなどでも入手できる。名古屋だと、StiffslackとFile-Under。
・Ophill
サイケ感のある、ゆるりとした音楽を聞かせてくれるバンド。オウガ・ユー・アスホールみたいな音楽が好きな人にはいいと思う。
1stミニアルバムがすごくよかった中、待望の新譜がリリース。大阪のFlake Recordsなどにも音源が進出していて、じわじわ来るバンドだと思う。少なくとも、名古屋では新譜がかなり売れている。
さらに最新のシングル曲(カセットでリリース)はサブスクで聴けるから、試し聞きもしやすい。ぜひ。
最新シングル「急行待ち」
新譜「UFO4U」
・The Rainy
ぶっちぎりで名古屋産のバンドで好きだ。名古屋のシガーロスだ。
先に述べた3組と比べると、まだまだこれからだろ、というのが正直なところ。
ただし、今年に入ってからライブ活動の拠点を東京のほうに移していくようになっているので、人気が出てくるのも時間の問題だと信じている。
現在、最新作のレコーディングが終わった状態だから、まもなく新作がでる。楽しみだ。
昨年リリースの1stEP 「film」
・Alibicounts
これも、The Rainyと同じで、大好きだから書きたかったバンド。ノイジーでクールなポストパンクを鳴らす良バンド。
一度、浜松のキルヒヘアでライブを観たことがあるが、音源そのままにめちゃくちゃかっこよかった。
最近、ポストパンクバンドの私的雑感をまとめた非常に良いブログ記事をよんだが、多くの海外の王道/現行のバンドたちに加えて、このAlibicountsはのっていた。愛知に住む者として、とても嬉しかった。
1st EP 「The Act of Killing Time #1」
・ulm
読み方は「ウルム」。多分名古屋で一番音がデカいバンド。インストゥルメンタル。ジャンルはポストブラック/シューゲイザー/ポストロック などなど。ライブも何度も見てるけど、ハードコアバンドばりの激しい演奏が楽しめる。こちらのバンドも、たくさんライブをやるバンド。
東京とか、名古屋をでてライブすることもどんどん多くなっている印象がある中、ついに彼らの音源がサブスクリプションを解禁した。ここから火がついてほしい。
3曲入りで24分という破壊力抜群のシングル「After Dark」
・Yawarakai Hitotachi
2017年の結成で、2018年のりんご音楽祭に出ていたバンド。ライブ動画をみてひとめぼれした。
最近、ついに音源をリリースした。名古屋で取り扱っているのは大須のANDYだが、残念ながら閉店が決まってしまった。(他に取り扱ってるのは福井のHOSIDOと京都のSECOND ROYAL。)
これで名古屋の人が簡単にCDを買えなくなるには、あまりにも惜しい。
ぜひ知ってほしいのである。
・Oavette
もっとたくさんバンドを挙げたいが、今回はこのバンド、Oavetteを最後とする。
名古屋の人力テクノバンドだ。バトルスが好きな人には突き刺さって仕方ないと思う。
関ジャムで以前、川谷絵音が好きな日本のインストバンドの一つとしてLITEを取り上げたが、そのLITEからも認められている。(LITEのポストロックのススメというプレイリストに加えられている。)川谷絵音経由で、コアなものを知りたいという邦ロックファンが手を伸ばしてほしいと思う。
昨年リリースの1stミニアルバム
というわけで、名残惜しいが、記事を終わろうと思う。好きなバンドはまだまだいっぱいいるが、長くなりすぎるのは良くないので。
新しく注目の名古屋のバンドがでたら、さらに書いていきたい。
(文:ジュン)
異形の音楽集団sukekiyo
はじめに
まずは出前寿司Records再始動おめでとうございます。アキオです。改めて誘って頂いたDammit氏にも感謝の意を。
いろいろ記事が上がっているのを見て、まずはsukekiyoを題材に少し筆をとることにした。
sukekiyoについて
まずsukekiyoというバンドだが、これはDIR EN GREYのフロントマン「京」が率いるもうひとつのバンドである。
もともと京の呼びかけで集まり、音楽的な理由よりも違う人間とやる事による"屈折"(化学変化とは言わないのが京らしい)を求め、2013年から活動を始めたバンドである。
基本的な音楽性を…説明したいのだがまずそれが難しい。
彼らの楽曲はヘヴィメタル、ニューウェイヴ、アンビエント、歌謡曲、ダンスミュージック、ポストロックなど実に様々な要素を内包していて、ベーシックになる音楽性を見つけ出しにくい。
あえて言うならダークでオルタナティブな方向性を指してヴィジュアル系と呼称する(黎明期のお化粧バンド的なマインドとの親和性から)のだろうが、こんなカテゴライズに意味があるのかどうかも怪しい。
また、彼らの楽曲は複雑怪奇な展開、実験的、ダークの3点がそろっているものが少なくなく、そのあたり聴く敷居も高いと思う。
しかし、誤解しないでほしいのは散漫ではなければ、ただマニアックなだけでもないということである。
どの楽曲にも京の声によってはっきりとした指向性を与えられているし、ボーカリゼーションの巧みさによって楽曲ごとにまるで違う印象をリスナーに与えてくれる。
そして、他のメンバーもそれに従うどころか食ってしまおうと果敢にトライするあたりがやっぱりバンドらしい。
更にすべての楽曲において、楽曲そのものの構成力や卓越したアレンジセンス、音響構築能力を発揮することにより、
音響的にマニアックな作り込みをする中にも日本人の琴線にふれるキャッチーなメロディラインをプラスしている。
DIR EN GREYがよく「カテゴライズ不能かつ不要なロック・バンド」と評されるが、その称号はこのバンドにも相応しい。
むしろ確固たる影響源が見えないこちらの方が当てはまるか。
sukekiyoという名前は犬神家の一族のスケキヨから取っている。
名前からジャンルや音楽性が想像できないことや、
あの白マスクを思い浮かべることですぐ覚えて貰えるかららしい。
様々な方とコラボしたりするのも大きな特徴で、X JAPANのToshlやD’ERLANGERのkyoといった先輩方や俳優の三上博史や鬼束ちひろ(PV上のみ)といった異ジャンルとのコラボもある。
また、色々ライブにも制約を設けており歓声を上げられない、フリ出来ない、場合によっては黒服オンリー(これはヴィジュアル系伝統のドレスコードでもあるけど)、総合芸術としての空間演出を志向したり、
演劇実験室◎万有引力とライブ中でコラボしたりと、ある種インスタレーション的な試みも感じられる。
京の好きな映画監督「アレハンドロ・ホドロフスキー」や漂う見世物小屋っぽさ、京以外のメンバーの持つ音楽的嗜好など語りたいことは山ほどあるのだが、
まずは聞いてもらった方が早いので自分が語るのはここまでにしよう。
最後になりますが、改めて再始動おめでとうございます。微力ながら貢献できるよう頑張ります。
試聴リスト
open.spotify.com
(1stアルバムでも随一の叙情的なナンバー)
open.spotify.com
(別音源では俳優の三上博史とツインボーカルになっている)
open.spotify.com
(中森明菜が歌っても違和感のない歌謡曲テイスト)
youtu.be
(クリープショー、悪魔の毒々モンスターというふたつの映画を連想させる言葉が歌詩に入っている)
(文:アキオシロートマグル)
アンダーグラウンド・メロディック・デス・メタル・コンピレーションの激烈傑作!第4弾!「Melancholizer vol.4」
V.A / Melancholizer vol.4
もはや一部の"界隈"では有名な明日くんが作ったネットレーベル「Melancholizer」の名を冠する名物メロディック・デス・メタルのコンピレーションCDの第4弾が2月の終わり頃に発表された。
元々は音系のメディアミックスの同人即売会イベント「M3」にて先行販売される予定だった作品だったが、明日くんはこのイベントを昨今騒がれている新型コロナウイルスの影響に憂慮して参加を辞退した。それは普段からTwitterにてコロナウイルスに関しては危機感を持った姿勢があった彼らしい一貫した対応だった。
そんな事態を乗り越えて発表されたコンピレーションも第4弾である。第1弾の頃から唯一参加している明日くんですらそのユニット名を変えたりと紆余曲折あれども継続は力なりである、確実に力強い面子を揃えて作品発表を重ねて辿り着いたこの「Melancholizer vol.4」は参加したバンドやユニットが合計6組の6曲を収録、史上最もコンパクトでありながら作品としての密度は実に強靭で逞しい内容となっている。たしかに今回参加しなかったことが悔やまれるバンドやユニットもいたが、それでも今回の「Melancholizer vol.4」の仕上がりはカッコいいの一言に尽きるものが揃っている。
メロディック・デス・メタルのコンピレーションである「Melancholizer」シリーズその第4弾はメロデスに対するそれぞれの解釈や視点の違いがある。これが実に多様で面白く、カッコいい形で揃っているのが本コンピレーションの最大の旨味ではなかろうか。以下はアルバムの解説だ。
「Melancholizer」シリーズを通して毎回先陣を切るのはレーベルのリーダーである明日くんことAsukunだ。新曲「Bojoh」は彼が一時期標榜していた歌謡メロデスのその湿感あるメロディーをより発展させたようなどこか不気味な不協和音が響くホラーテイストの演出がダークでそしてきらびやかな一曲に仕上がっている。
続いて登場するのが前回の「Melancholizer vol.3」にも参加した東京のバンドのBloodeyed Sunsetの一曲「Chaos master」。硬質なリフとそこに絡むメロディックなギターらが重厚に積み重ねられた転調の切れ味もある曲だ。ヴォーカルの鋭いシャウトも鮮烈でカッコいい。
次にこちらも東京のメロデスバンドのCLAYMANの曲で「Gate of Wrath」(CDにある曲名の「Entombed Envy」は誤表記)。そのサウンドは正統派なヘヴィ・メタルを彷彿とさせるようなメロディーとリフを持ちつつ、そのヴォーカルがまたデス・メタルたらん正統性を持つ実に太い破壊力のあるバンドの一曲だ。
そして本コンピレーションの「Vol.2」「Vol.3」にも参加しAsukunとのスプリットEP「Evil Twin」(このEPもカッコいいぞ!)でも共演を果たした茨城産家系メロディック・デス・メタル・バンド(!?)yabaokayaの登場、曲は「旋律物語」。メロディック・デス・メタルと言ってもそのアプローチは実に多様多彩極まる中でもこれぞメロデスといわんばかりの正統派のサウンドがこれでもかと格好良く炸裂している、なのにyabaokayaを聴いているというこの実感は本当に強いものがある。
兵庫県のMixing within the Brainはサウンドのミックスが凝っているメタル・コアを聴かせてくれるバンドだ。コンピレーションへの参加曲の「燦然と煌めく赤い未来」(なんてカッコいいタイトルだ!)は怒涛の音塊の絨毯爆撃とも言うような実に凄まじい戦慄の一曲となっているが、隅々にサウンドメイクが施された配慮の行き届いた繊細な仕事も光る曲でもある。
そして本コンピレーションの最後を飾るのは同人ゲームのBGMを作曲しつつ、同人音楽サークル等でも活躍する「Melancholizer」の中では異色の経歴の持ち主である意味ミステリアスなカードなユニットめたらび、そんな彼が提供した一曲「Seth of Lust」はどこかオールド・スクール特有の不気味で鋭く攻撃的なサウンドが癖になる曲だ。彼の場合このサウンドはほんの一面にしか過ぎないのかもしれない。
※以下は本コンピレーションに収録された曲がYouTube上で上がっていた二組の動画。
ヘヴィ・メタルそれ自体のサブ・ジャンルが実にややこしく初心者にはなかなかと手の出しづらいジャンルであったりもする。しかし、それは同時に多様性の表裏一体とも言える。本コンピレーション「Melancholizer」シリーズにあるのはヘヴィ・メタルの純然たる多様性と可能性の提示である。アンダーグラウンドの誠実がここにはある。
(文:Dammit)
羊文学「1999/人間だった」レビュー
羊文学 / 1999/人間だった
特別な贈り物は素敵な包装紙に包まれているとより特別な感じがして嬉しい、単純なことかもしれないけれども嬉しい。
羊文学の生産限定シングル「1999/人間だった」は、2019年12月4日にリリースされたバンドからの少し早めのクリスマスプレゼントだった。
作品が手元に届いた時にその絵本のようなジャケットの素敵な仕様に思わずときめきのようなものを覚えた、それは子供の頃に"サンタさんから届いた"クリスマスプレゼントの包装紙のあの匂いを嗅いだ瞬間に訪れたドキドキした気持ちと同じものだった。同時にバンドのシングルCDという形式の媒体にこんな風にドキドキしたのはいつ以来の事だったろうかと過去の記憶と思い出に想いを巡らせた。実にノスタルジックな気持ちと温かさが胸いっぱいになる。
かつて「1999」という年は未来であった。世紀末であり、ノストラダムスの大予言などと言って世界は破滅するんじゃなかろうかとまで思っていた。また、様々なアーチストが「1999」をテーマとした曲を書いた。その大半が実に未来としての新しいものとしての「1999」だった。
ところがどうだろう、俺たちがいま生きている時代は「2020」だ、「1999」よりもずっと未来な筈なのに車は空を飛んでいない、人型ロボットが街を闊歩していない、そして何よりも世界は滅びそうなまま滅んではいない。すっかりと「1999」は過去となってしまった。あの未来であった、世紀末であった、もしかすればこの世の終わりだった「1999」は何処へと行ってしまったのだろうか。
羊文学の提示する「1999」は、過去となってしまったかつての世紀末と呼ばれたあの時代のクリスマスイブを、ノスタルジアと一匙のファンタジーで実に丁寧に優しく柔らかに紡いだような曲だ。かつての未来が過去となる過程で色褪せて行く様に、ノスタルジアを見出だし描く不変の着目点とセンスは、より"深化"したバンドと塩塚モエカの新たな一面ではなかろうか。
そして「そんなことをそんな声でそんな風に歌われてしまっては心がメチャクチャになってしまうよ」と言うほどに、塩塚モエカは時折何よりも純粋で残酷な解放感の果てに垣間見える優しさのアーチストであると俺は思っていて、カップリングの「人間だった」はそんな塩塚モエカの純粋さをより果てなき果てが広がる解放感の為に徹して費やしたような一曲に仕上げられている。そして果てなき果てのその先にある塩塚モエカの視線はやはり優しくどこか温かい。
残酷な世界と純粋に向き合うが為に残酷にならなくてはいけない時期が終わり、羊文学は塩塚モエカはその視線から残酷な世界すら優しく温かく見つめるという広大無辺な新たな視線を"深化"により手にした。それは"強さ"でもある。より優しく温かく柔らかく、羊文学は強くなった。
"1999"(MV)
"人間だった"(MV)
羊文学がその音楽で見せてくれる世界がある。その世界は無限に広く優しく心地良い、そんな羊文学に俺はロックバンドととして純粋に魅力的に感じる。羊文学は大好きなロックバンドだ。
(文:Dammit)